ビジネスを始めたら人生変わったのでその軌跡を語ってみた

2021年10月9日

はじめまして、ゆうと言います。

この記事ではカンタンに
僕の自己紹介をしていきたいと思います。

9分くらいで読める内容なので、
ぜひ最後まで目を通してもらえると嬉しいです。

 

突然ですが、あなたは100万円あったら
何に使いますか?

  • 前から欲しかったものを片っ端から買っていく
  • 旅行や趣味に惜しみなく使って思いっきりエンジョイする
  • 投資や仮想通貨、FXを初めてみる
  • 宝くじやギャンブルに全額ぶち込んで増やす!
  • むしろ使わず将来のために貯金する

おそらくこういった
使い方をする人が多いと思います。

ただ、僕はこういった使い方はせず
「あるもの」に使って1日で
全てを使い切りました。

 

では、一体何にお金を使ったのか?

という話をする前に、
ちょっと自己紹介をしますね。

僕は現在、個人で独立して
インターネットを使って個人で稼ぐ力を
身に付けるために日々学びを得ています。

ネットビジネス歴は合計すると
大体8年くらいですね。

その間、

  • ブログ運営
  • アフィリエイト
  • ステップメール運用
  • 教材、企画作成
  • 個人コンサル
  • アシスタント
  • コミュニティ運営

などを行ってきました。

とはいえ、まだまだ勉強不足で
毎日スキルを磨くために勉強しています。

もう少し具体的に経歴を書くなら、
こんな感じです。

  • 大学時代からブログを立ち上げて月22,000PV、完全自動で月5桁を稼ぐ
  • 東証1部上場のトップシェアメーカーに就職して、出世コースの部署に配属される
  • サラリーマンというシステムに限界を感じて儲かる算段なかったけど会社を辞める
  • 東大卒の経営者にスカウトされて右腕として働く
  • 月間180,000PVのサイトのメインライターを勤める
  • 知り合いの経営者何人かと1週間フィリピンに旅行に行く
  • 大阪の山奥にあるシェアハウスで1週間缶詰でビジネス合宿
  • ブログ記事作成において数々のキーワードで検索結果1位を取る
  • 六本木で月数百万稼ぐ人と作業、食事をしている
  • 平日から六本木に来てパソコン1台で仕事をしている
  • 嫌いな人や興味のない人と関わることなく人生を過ごせている

こういったことを経験したり
現在進行形で行っています。

僕の周りには月に100万円以上を
余裕で稼ぐ人がゴロゴロいて、
毎日刺激をもらいながら
前向きに活動を続けています。

これから稼いでいけば、
もっと人生が楽しくなると確信していて、
そのために毎日ビジネスを勉強して
日々、成長を目指しているという感じですね。

 

で、さっきの100万ですが
何に使ったのかと言うと、

知識を得るための投資に使いました。

正確に言うとすでに何億と稼いでいる人の
個別コンサルを受けることにしたんですね。

特に募集とかはしていなかったのですが、
ダメ元でメールをしたら通話で対応してくれて、
そこで正式に決まりました。

特に隠すことでもないので普通に言いますが、
半年間で100万円です。

ちなみに手持ちのお金はコンサル料の
半分ちょっとくらいしかなかったので
分割で支払いです。

でも、それはあくまで支払いのタイミングが
後ろにズレるだけで、1日で100万投資したことに
変わりはありません。

(それとこのコンサルが決まった後に、
16万円のパソコンも買いました。

なので、正確に言うとトータルで
116万円の投資ですね)

 

こういうのって普通の人からしたら

「頭おかしいんじゃね?」
「こいつ騙されてるだろw」

って感じだと思いますが、
僕は至って大マジメです。

「数ヶ月以内に月収で
コンサル分のお金を稼げばいいでしょ」

って思っているので。

 

で、これだけ見ると

「何か自分とは違う人なんだな」

って思うかもしれませんが、
実際は全然そんなことなくて。

それをわかってもらうために、
僕がこれまで歩んできた人生について
話していきますね。

どこにでもいる少年だった幼少期

僕は2人兄弟の長男として生まれました。

東京で生まれて、
その後千葉に引っ越したのですが、
特に大きなトラブルも特になし。

順調に成長していきました。

野球を始めた小学時代

千葉に移住した後はそのまま成長していき、
友達も作ることができました。

また、小学1、2年のときに
父親の海外赴任に家族でついていき、
2年くらい海外住みをした時期もありました。

イランという国にいたのですが、
日本とは何から何まで違って
今思い出しても、結構楽しかったですね。

 

日本に戻ってきてからは野球を始めて、
週末にはみんなと楽しく
野球の練習をしていました。

コミュ障になり人生の歯車が狂った中学時代

そんなこんなで小学校を卒業して
中学生になったのですが、
ここから徐々に歯車が狂い始めます。

 

事の発端は中学1年のときに
友達だと思っていた奴から
思いっきり拒絶されたことでした。

このときの僕には小学生のときから
仲が良かった男友達(以下、H)がいて、
中学生になってからも毎日Hと遊んでいました。

 

そして、この日も遊ぼうと思って、
別クラスになっていたHに
声をかけに行きました。

するとHから、

「今日はOと遊ぶ予定があるから
Oがいいならいいよ」

という返事が返ってきました。

Oは僕と同じクラスの男子で、
小学生のときに何度か遊んだこともありました。

「入れて」って言えば、
普通に混ぜてくれるだろう。

そう思って自分のクラスに戻りOに
自分も遊びに入れてくれと言いました。

 

しかし、そこでOが放った言葉は
僕が予想していないものでした。

 

「は?来んじゃねーよ!」

 

・・・

 

僕は気づいたら自分の部屋で
1人でゲームをしていました。

Oに来るなと言われてからの記憶はありません。

Oになんて返事をしたのかも、
午後の授業をどうやって受けていたのかも、
どうやって学校から家に帰ったのかも、
全部覚えていませんでした。

 

なので、当然感情もありません。

普通ならOに怒ったり、
泣いたりするところですが、
僕は無感情で淡々としていました。

おそらく、相当ショックだったんだと思います。

ショックすぎてOの言葉をまともに受け取ると
心が壊れてしまうから記憶を消すことで
自分を守ったんじゃないかなと。

 

この日以降、僕は他人に一線を引くようになり、
誰とも話せなくなってしまいました。

発言しようとすると言葉がノドで
突っかかって出てこなかったんです。

自分の体なのに思い通りに
動かないことに衝撃を受けました。

なんで、声が出ないんだ!?

え?何これ?意味わかんねーんだけど?

どうして、こんなことに、、、

 

こんな状態でまともに
人と話せるわけがありません。

僕はたった1日で
コミュ障になってしまったのです。

ちなみに、Hですが
この日を境に全く話さなくなりました。

このときの僕は、コミュ障になったのに加えて
親友すらも失ってしまったのです。

 

この1件があってからは
地獄のような日々が始まりました。

話しかけられても、まともな返しはできず、
自分から遊びに誘うことはなく、
誘われたときは存在しない予定を創作して断り、

学校の休み時間は1人机に座りながら、

「早く休み時間が終わってくれ…」

と祈っていました。

 

周りは休み時間や昼休み、
放課後に楽しそうに話しているのに

「何で自分だけこんな思いを
しないといけないんだ、、、」

「もう学校とか行くのやめようかな。。。」

心の底からOを恨みながらも、
僕は何の対策も打てないまま。

いつからか僕の中には
大きな劣等感が生まれていました。

 

また、このとき僕は野球を続けていたのですが
学校外のクラブチームに入っていました。

クラブチームでは試合で勝つことが優先されて
毎日、厳しい練習が続きます。

あれだけ楽しくやっていた野球が、
「辛い・苦しい・楽しくない」の
三重苦になっていました。

社畜のサラリーマンが
早く仕事終わってくれと思うように

毎日、

「早く練習が終わってくれ・・・」

「今、時間何時だ?
うわ、あと3時間も練習時間ある、、、」

と思うようになっていました。

 

そんな状態なので、
当然練習にも身が入りません。

というか、それ以前に試合で結果を出そうとも
思っていなかったですね。

そんなことよりも、

いかにその日の練習をラクに消化するか?

ってことばかり考えていました。

途中からは野球よりも監督の目を誤魔化して
練習をサボる技術の方が
うまくなっていましたね。

 

それなら辞めればいいじゃんって
思うかもしれませんが、
それもできなかったんですよね。

もちろん、何度も辞めようと思いましたよ。

でも、親は僕が野球をやっていることを
楽しみにしていたし、そのために道具も
いいものを買ってくれました。

忙しい中、送迎もしてくれたし、
お弁当も栄養バランスを考えたものを
毎回作ってくれました。

僕が試合でヒットを打つと
めちゃくちゃ喜んでくれましたし、
「やったね!」みたいなことも言ってくれます。

こんなの辞められるわけがありません。

 

そういった背景もあり、
僕は辞めたいけど辞められないという
板挟み状態で半ば興味のない
野球を続けることになりました。

マジで何やってんだろうな、オレ。。。

みんな本気で野球をやってるのに
自分だけは真剣になれない。

自分で自分が何をしているのかわからず
泣きそうになることもありました。

 

コミュ障コンプレックスに加えて、
野球に本気になれなかったこともあり、
僕の中でどんどん劣等感が
大きくなっていきました。

自己肯定感が極限まで下がった高校生活

その後、中学を卒業して高校に進学しましたが、
コミュ障も野球に真剣になれないのも
変わりませんでした。

 

僕の高校時代を一言で表すと
「無」って感じでしたね。

とにかく全てを無難に
こなすことだけを考えていたというか。

コミュ障なので、
クラスでもロクに友達もできず、
野球ももはや惰性で続けているだけでした。

 

最後の大会で負けたときも
全然悔しくなかったですね。

むしろ、これでキツい練習から
ようやく解放されるって思っていました。

悔しい、悲しい、
もうみんなと野球ができないのが寂しい

なんて気持ちは微塵もなし。

もう辛い思いをしなくていいんだという
安堵感の方が圧倒的に上でした。

 

で、心の中ではそんなことを考えつつも、
一応最後の試合が終わったときは
泣いていました。

ただ、その理由もしょーもないもので、

「まぁ、周りがみんな泣いてるから
オレも泣いておくか」

って感じでした。

周りが泣いているのに
自分だけケロッとしてたらおかしいし、
空気も変になりそうだから
せめてフリだけでもしておこうっていう。

冗談抜きで、

「あぁ、オレ終わってんな・・・」

って思いました。

何というかただひたすら虚しかったですね。

自分はこの先ずっとこんな中身のない
スカスカの人生を送るのかと。

そんなことを考えて、野球とは別に
意味で悲しい気持ちになっていました。

 

自己肯定感が下がりまくって、
自分という存在に価値を見出せなくて、
割りとナチュラルに

「もう死んでもいいんじゃね?」って

考えたりもしていました。

不安まみれの大学生活

その後、1年の浪人を経て
僕は大学に進学しました。

当然のごとく第1志望に落ちて、
第2志望の大学に入学することに
なったのですが、

幸いコミュ障なりに頑張って
グループに紛れ込むことはできました。

 

しかし、ホッとしたのも束の間。

今度は別の不安が襲ってきたのです。

それは「就職」でした。

今は1年だからまだいいけど、
逆にあと4年すれば社会人になって
60歳くらいまで仕事をし続けるだけの
人生になる。

 

「え、、、マジで?」

「ちょっと、それは本当に勘弁なんだけど、、、」

 

このときの僕はここまでの人生の中で
仕事や会社員として働くことに
とてつもないネガティブな
イメージを持っていました。

毎日、朝から晩まで
全然面白くない興味のない仕事をやるとか、

クソうざい上司の機嫌を伺って
ごますりをしないといけないとか、

行きたくもない飲み会やゴルフに付き合わされて
イヤな思いをするとか、

その割に給料は少なくて、
努力の割りに報われないとか、

でも、そんなことも「それが社会人だ」みたいな
意味不明な理由でガマンしなきゃいけないとか、

そんな偏見の塊のような
イメージを持っていました。

ただ、偏見とわかりつつも電車の中や街で
くたびれたサラリーマンを見るたびに
あながち間違ってないのかもと感じていました。

 

そこで僕は就職以外の道を
模索することにしました。

そして、いろいろ調べる中でインターネットで
月100万円以上を稼ぐ人を
たまたま見つけました。

最初は、

「まぁ、どうせ詐欺みたいなこと
やってんでしょ」

と思いました。

どう考えても怪しい。

そんな都合のいいことがあるわけがない。

そう思いました。

しかし、よくよく調べてみると
意外とそうでもなさそうでした。

というのも、その人以外にも
何人もネット上で稼いでいる人がいたんですね。

  • 20代前半で六本木の一頭地の超高級マンションに住んでいる人
  • 東京と神戸に家を持ち、気分や予定に合わせて行き来している人
  • フラッと海外の高級リゾートに行っている人

みんな楽しそうに人生を謳歌していました。

しかも、最初に見つけた人は元々吃音という
うまく話せない病気を抱えていて、それでも
自分でビジネスをやって成功していました。

「マジか、こんなマンガみたいな
世界があったのか・・・」

初めて知る世界に僕は強く興味を引かれました。

大学生なので、時間ならいくらでもあります。

僕はその彼の活動を追うことにしました。

そして、その中で
ブログをやっている人に知り合い、

「自分にもできるかも!」

と思いブログを書き始めることにしました。

ビジネスを実戦開始

ブログを初めてみて、まず思ったのは
「意外と面白いな!」ということでした。

僕は元々かなりの飽き性なので
つまらなかったらすぐにやめてしまいます。

そんな中でやってみると
意外と面白くて続きました。

 

そして、そのままブログの記事を書いていき
3年のときには月5桁の収入を得ることが
できました。

実際に稼げることは
知識として知っていましたが、
いざ稼いでみるとめちゃくちゃ
嬉しかったですね。

売上確定メールが来たときは、

キタ―――(゚∀゚)―――― !!

って感じでした(笑)

 

そんな感じでブログをやっていたのですが、
ついに就活の時期がやってきました。

僕は悩んでいました。

このまま今のビジネスを伸ばしていくか、
それとも普通に就職するか。

 

考えに考えた結果、
僕が選んだのは「就職」でした。

というのも、

「会社員もやってみたら
意外と楽しい可能性もあるよね?」

って思ったんですよね。

「実際にやらずに判断するのは
違うんじゃないか?」

「会社員がつまらないというのは
単なる妄想なんじゃないか?」

そう思って就職の道を選びました。

そうして、就活をして最終的に
とあるメーカーに内定をもらいました。

(ちなみにこのときブログをやっていたときの
知識がめちゃくちゃ役に立ちました)

就職して現実を知る

就職して働き始めてみたのですが、
待っていたのは大学生のときに
イメージしていた通りの現実でした。

「やってみたら考え方が変わるかも!」

なんて考えていましたが、

「あ、これ思ってた通りだわ」

って感じでしたね。

そして、日々勤務する中で
大小さまざまな不満が溜まっていきました。

  • 月曜〜金曜の朝から晩までずっと働き続けるのイヤ
  • 金曜の夜に歓喜して、日曜の夜に絶望する人生がイヤ
  • 気が乗らない日も会社に行かなきゃいけないのがイヤ
  • 好きなときに好きなことができなくなるのがイヤ
  • 頑張ってもたいして給料が上がらないのがイヤ
  • 全然、興味のないつまらない仕事をするのがイヤ
  • 上司とか先輩に気を遣ってヘコヘコするのがイヤ
  • 通勤電車に乗って、気分激萎えで1日が始まるのがイヤ
  • 日付が変わるまで仕事をして、帰り際に虚しい気持ちになるのがイヤ
  • 楽しくもない飲み会で時間とお金をムダにするのがイヤ
  • このまま会社で働き続けて、どこにでもいる普通のおっさんになっていくのがイヤ
  • 死ぬまでずっとお金に苦労してガマンの連続になるのがイヤ

自分でもビックリするくらい
大量の不満が出てきました。

 

あとは、入社してしばらくしたところで
自分の人生の果てが
見えたような気がしたんですよね。

ここで働いて、何歳くらいで結婚して、
何歳くらいで昇進して、給料はこのくらいで、
その後は子どもとかできて、
定年くらいまで働いて、
老後を過ごして自分の人生は終わりかな。

そういう自分の人生の
全体像みたいなものが見えたんです。

で、それを自覚した瞬間に

「オレの人生マジでつまんねぇな」

って思って生きる気力みたいのが
一気になくなりました。

これから先の人生が
全て消化試合になった感覚でした。

 

こんな話をすると、

「ブラック企業に入社したの?」

と思うかもしれませんが、
むしろその逆で超ホワイト起業でした。

ブラックならともかくホワイトにいるのに
こんな状態なんだから救いようがないですよね。

 

このまま会社に勤め続ければ、
それなりの人生は歩めるはず。

ブラック企業に勤めている人からすれば、

「何を贅沢なことを言ってるんだ」

「そんないいところいるんだから
多少の不満はガマンしろよ」

って感じだと思います。

ただ、どこか引っ掛かりを感じていたんです。

「本当にこれでいいのかな?」って。

 

それと同時に1つ確信していたことがあって、

「この人生を続けていたら
死ぬときに確実に後悔するな」

ということでした。

あなたは「死ぬときに後悔すること25」
という本を知っているでしょうか?

これは緩和医療専門医という仕事をしている人が
亡くなる直前の人に後悔していることを
聞いてまとめた本です。

この中に、

「自分のやりたいことをやらなかったこと」

という項目があるんですよね。

もっと肩の力を抜いて自由に、

「やりたいことやっておけばよかった」

と後悔していたと書かれています。

何となく未来の自分も
このセリフを言っている気がしたんですよね。

 

もちろん他の会社に行けば
考え方が変わるかもしれません。

でも、変わらない可能性もあります。

なら、確実に今の現状を変えるために、

「会社員以外の生き方を
目指した方がいいんじゃね?」

そう考えるようになりました。

 

この先の人生に関わることなので、
半年間くらいはずっと悩み続けました。

自慢じゃないですけど、僕が勤めていた会社は
一般的に見てかなりいい会社で
もったいない気持ちもありました。

そして、ここで判断を間違ったら
人生がめちゃくちゃになる可能性もありました。

だから、ずっと考えて、考えて、考えて、、、

毎日、頭が痛くなるほど悩み続けました。

 

その結果、僕は不眠症になりました。

自分の将来のことで悩みすぎて
寝つきが悪くなったり、
あとは朝がめちゃくちゃ弱いタイプで
全然起きれなかったこともあり、
毎日5個くらいアラームをかけていたんですね。

でも、そんなことをしているうちに

「もし明日、寝坊したらどうしよう・・・」

とプレッシャーを感じるようになっていました。

 

最終的には就寝してから
1時間ごとに目が覚めるようになりました。

12時に寝たら1時に
「遅刻か!?」って飛び起きて、

2時くらいに
「ヤバい!今度こそ遅刻か!?」って起きて、

3時くらいに
「うわ!今度こそやらかした!」って起きて、

それが4時、5時、6時…と続くみたいな。

こうなると一晩寝ても寝た気がしないし、
1日中眠いし、朝起きた瞬間から疲れてるし、

「何これ、地獄じゃん…」

「もしかして、この生活を
あと40年近く続けないといけないの…?」

絶望的な気分で毎日を過ごすようになりました。

 

しかも、結局ある日寝坊したんですよね。

目覚まし全スルーして、
起きたら始業時間10分前って状態でした。

上司に平謝りしてバチクソに怒られました。

「マジで何なんだろう、これ」

って思っていました。

起きなくてもいいときに飛び起きて、
起きるべきときに爆睡をかます。

「いやいや、逆でしょー」って感じで。

我ながら情けなさすぎて、
会社から逃げ帰りたい気分でした。

 

こんな感じで、

「どうしよう、どうしよう」

と思っているときに転機が訪れました。

学生時代から顔馴染みの経営者に

「仕事を手伝わないか?」

と誘ってもらったんですね。

「うおぉぉ!マジか!」って感じでしたね。

何という神タイミング。

「もしかして、どこかで見てましたか?」

ってレベルのグッドタイミングで
声をかけてもらいました。

 

僕はこの誘いを2つ返事で承諾しました。

経営者のアシスタントとして
会社を辞めることにしたのです。

(副業禁止だったので
会社は辞めるしかありませんでした)

 

正直、アシスタント業務がいつまであるかは
わかりませんでした。

最低、半年みたいなことは言っていましたが、
その先はわかりませんし、
他に稼ぐアテも当然ありません。

また、アシスタントの給料も、
会社で働いているときと比較して少ないですし、
どうにかして他に収入を得る手段を
作らなきゃいけない状態でした。

でも、このときの僕は
そんなことはどうでもよくて、
1日でも早くこの環境から
抜け出したい一心でした。

 

で、その後、
3年くらい仕事を手伝ったのですが、

結局アシスタント以外の
収入を確立できなかったんですよね。

仕事を手伝いながら色々やってみたのですが、
どれもうまくいかなかったんです。

そして、契約満了と同時に、
僕は収入のアテがない状態に
なってしまいました。

 

「このままではマズい・・・!」

焦った僕は自分の力で
再度ビジネスを起こそうとしました。

ただ、アシスタント時代の経験や知識を活かして
自力でビジネスをやってみるも
全然、結果は出ませんでした。

それもそのはず。

自力でやって結果が出るなら
アシスタントのときにとっくに
結果が出ているはずです。

しかし、このときの僕は
その視点が完全に抜けていたんですね。

 

日に日に減る残高を見て、
僕は焦りを強めていきました。

「やばい、このままだと
また会社員に逆戻りになるぞ」

「しかも、前ほどいい会社に
就職はできないだろうから
よりしんどくなるんじゃないか?」

焦りと不安が膨れ上がり、
胃が痛くなる日々がしばらく続きました。

 

そんなときでした。

以前から知っていたビジネスを教えている人の
メルマガが流れてきたのです。

この人は以前からセミナーに参加したり、
通話コンサルをしてもらっていたのですが、

その人のクライアントの中で
結果を出した人とのインタビュー音声を
公開していたんですね。

その音声を聞いてみると、結果を出した人が
僕とかなり境遇が似通っていました。

 

もしかしたら・・・

ここでコンサルをお願いすれば
自分も同じようになれるかもしれない。

この状況をひっくり返して、
どうにか生計を立てられるかもしれない。

というか、このまま自力でやっても
ムリなんだからお願いするしかなくね?

 

そう思った僕はメルマガの発行者に連絡をして
コンサルの依頼をしました。

これが記事冒頭のコンサルに100万を使った話に
つながっていきます。

その後はコンサルを受けながら、
改めて地に足を付けてビジネスや
マーケティングを学んでいっています。

この記事を通じて僕が伝えたいこと

僕は中学生のころから
うまくいかないことがほとんどで

会社員になってからも
自分の生き方に悩むことが続きました。

しかし、そこでビジネスに出会って、
会社を辞めて、前向きな気持ちで
日々、活動を続けています。

 

会社員をやっていたときは
あんなに不平不満を言っていたのに

今は全て自己責任で
絶対に自分の人生を変えてやるんだ
と思いながら勉強をしているんだから

不思議なものですよね(笑)

 

でも、これってきっと
僕だけじゃないって思っていて、

  • 仕事がつまらなくて今すぐにでも辞めたい
  • もっとたくさんのお金が欲しい
  • 誰にも縛られず自由な生活を送りたい
  • 自分をどうにかして変えたい
  • 会社員以外の生き方に興味がある

こんな思いを心の内側に
持っている人もいるはずです。

だからこそ、このブログに来て、
こんな長い記事を
最後まで読んでいるのだと思います。

 

で、そういう人に言いたいのは、

ビジネスを通じて人生を変えることができるよ

ってことです。

僕も稼ぎはまだまだですが、
すでに手に入れたい現実の一部は
実現しています。

それだけでもだいぶメンタル的にはラクですし、

この先、ちゃんと稼げば、
もっと楽しい人生が
待っていると確信していますし、

あれだけ後ろ向きだった人生を
前向きに過ごせています。

この事実が少しでもあなたに伝わっていれば、
頑張って黒歴史を掘り返して
記事を書いて良かったなって思います(笑)

 

なので、もし今のあなたが
現状に満足していなくて、

でもどうにかして
人生を好転させたいと思っているなら、
僕はビジネスを学ぶことをオススメします。

 

仮に独立せずに会社勤めをするにしても
ビジネスの知識があれば結果を出して昇進したり
ボーナスを多くもらったりできます。

もちろん、将来的に独立して
自由に暮らすことも可能です。

 

シンプルに人生の中で選択肢が増えるんです。

選択肢が少ないとイヤな選択でも、

「オレにはこれしかないから」

と自分を無理やり
納得させて選ぶしかなくなります。

これってめちゃくちゃもったいないことで、
それだけで人生のクオリティが
1段階下がります。

 

なので、選択肢を増やして
納得の行く人生を歩むためにも
ぜひビジネスを学んでみて欲しいな
って思います。

 

もし、ここまでの文章を書いて
思うことがあれば、ぜひ送ってください。

シンプルに読んだ感想でも大丈夫です。

TwitterのDMとかに送ってもらえれば
全て目を通させていただきますので。

 

ではでは、この辺で終わりにしたいと思います。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

未分類

Posted by yu